大判例

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浦和地方裁判所 昭和63年(行ウ)6号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和六二年一二月二五日付でした公文第三四五ないし第三四七号の各行政情報非公開決定処分のうち被接種者の健康状態に関する部分をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、埼玉県民である。

2  原告は、昭和六二年一二月一六日、被告に対し、埼玉県行政情報公開条例(埼玉県条例第六七号-以下、「条例」という。)五条一項により、「予防接種法第一六条第一項に基づく疾病及び障害の認定について」の行政情報(以下「本件行政情報」という。)の公開を請求した。

3  ところが、被告は、原告に対して、昭和六二年一二月一六日付公文第三四五ないし第三四七号「行政情報非公開決定通知書」によって、本件行政情報のうち、各被接種者の健康状態に関する部分(以下「本件健康情報」という。)について、「特定の個人の私的事項又は健康状態に関する事項であって、通常他人に知られたくない個人に関する情報であり、条例六条一項一号に該当するため。」との理由で、いずれも非公開決定処分(以下「本件非公開決定処分」という。)をした。

4  しかし、本件非公開決定処分は、条例六条一項一号の解釈適用を誤った違法なものである。

よって、原告は被告に対し本件非公開決定処分の取消を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1は明らかに争わない。

2  同2、3は認める。

三  被告の主張(本件非公開決定処分の適法性)

条例六条一項は、「次の各号の一に該当する行政情報は公開しないことができる。」と定め、その一号に「通常他人に知られたくない個人に関する情報」を掲げているところ、本件において、被告は、健康被害者の氏名、生年月日、性別及び本件健康情報は「通常他人に知られたくない個人に関する情報」として非公開部分に指定した。

本件健康情報は、特定個人の具体的な健康状態すなわち具体的な障害の内容に関するものであり、本件行政情報に関するインフルエンザ予防接種に係る健康被害の認定請求者は、極めて少数で、前記のように氏名、生年月日、性別を非公開としても、市町村名等その他の公開部分、及び新聞報道等のマスメディアの情報等と合わせると、容易に特定の個人に結びつくことになるのであるから、結局本件健康情報は「通常他人に知られたくない個人に関する情報」に当たるというべきである。

したがって、本件健康情報は、条例六条一項一号に該当するのであるから、本件非公開決定処分は適法である。

四  被告の主張に対する認否

争う。

五  原告の反論

1  条例六条一項一号の意義

条例一条及び三条一項の定める「県民の行政情報の公開を求める権利」は、憲法が保障する「知る権利」を具体化したものであり、県の機関が作成しまたは入手した情報の積極的な公開を義務づける給付請求権であるから、条例二条一項に示された行政情報は、すべて公開されることが原則であり、その例外として非公開とされる情報は、その種別と範囲が必要最小限に限定されるとともに、その例外事項の規定及びその判定基準が明確に示され、その解釈が厳格に行われなければならない。

したがって、条例六条一項一号の「通常他人に知られたくない個人に関する情報」に該当するといえるためには、実施機関の主観的判断だけでは足りず、それを基礎付ける合理的な個別具体的理由が客観的に明白であることを要するといわなければならない。

2  本件健康情報の公共性

インフルエンザの集団予防接種は、疾病から社会を防衛するという社会防衛論に基づくものであって、その公共性が極めて強いものであるから、インフルエンザの集団予防接種の副作用事故情報も高度の社会的あるいは公共的性格を強く有する。

特にこのような副作用事故情報のうち最も基本的な事項である認定疾病名を含む本件健康情報は高度の社会的・公共的性格を有するというべきであり、したがって、本件健康情報は、その公開を制限する合理的理由はないといわなければならない。

そして、本件条例による情報の公開を求める権利は前記のとおり憲法の保障する知る権利が具体化されたものであって、合理的理由なく制限されるべきものではないから、本件健康情報については条例六条一項一号に定める「通常他人に知られたくない個人に関する情報」に該当すると解すべきものではない。

3  公開実例の存在

健康被害者の健康状態に関する情報については、以下のとおり、多くの公開実例が存在していることを考えれば、本件健康情報についても「通常他人に知られたくない個人に関する情報」には該当しないというべきである。

(一) 神奈川県では、「神奈川県の機関の公文書の公開に関する条例」に基づく「インフルエンザに係る予防接種法第一六条第一項の規定に基づく疾病及び障害の認定申請に対する厚生大臣の認定結果通知書の全て」という公開請求に対し、昭和六三年一一月七日、氏名は「個人に関する情報であって、特定の個人が識別されるため」という理由で非公開としたが、その余の市町村名・認定疾病名等すべて公開した。

(二) 大宮市では、インフルエンザ予防接種禍について、昭和五五年度以降、「インフルエンザ予防接種の実施にあたって」という表題の各保護者あて説明通知書において、「現在使用されているワクチンは、副作用の生じる場合があり、昭和五四年、新潟・北海道・大宮でアレルギーショック・脳症等の健康被害が発生しました。」と記載し、その予防接種禍の疾病名を周知・公開している。

(三) 前橋市では、前橋市インフルエンザ研究班が、その研究報告書「ワクチン非接種地域におけるインフルエンザ流行状況」において、同市内において発生したインフルエンザ接種禍について、その健康被害の内容等を掲載し、公表している。

(四) インフルエンザワクチン禍訴訟である浜田訴訟(仙台地方裁判所昭和五五年(行ウ)第一号)において、厚生省の「インフルエンザHAワクチン接種後の神経系疾患として予防接種事故審査会又は公衆衛生審議会、予防接種健康被害認定部会において審査された事実」という資料が提出され、副作用病状・疾病名が公表されている。

(五) 厚生省保健医療局感染症対策課監修「予防接種ハンドブック改訂第五版」において、副反応例の集計が資料として掲載され、その中には、認定された副作用事故の疾病名が類型的に記載されており、公表されている。

(六) 財団法人予防接種リサーチセンターが編集・発行する「予防接種制度に関する文献集」の掲載資料である副作用事故一覧の中に診断疾病名が記載されている。

右文献集は、一般的な刊行物であり、国会図書館等で誰でも自由に閲覧できるものである。

六  原告の反論に対する認否

争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1の事実について、被告は明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

また、請求原因2、3の事実は当事者間に争いがない。

二  条例六条一項一号該当性について

1  条例六条一項一号は、非公開とすることができるものとして、「通常他人に知られたくない個人に関する情報」を規定している。右条項は、情報公開請求の対象となった情報すべてを公開したのでは、個人のプライバシー保護に欠ける場合もあることから、この保護を目的として規定されたものであることが明らかであるところ、右条項は、当該情報を非公開とすることができるための要件として、それが「通常他人に知られたくない」情報であること及び「個人に関する」情報であることを定めている。

2  そこで、まず、本件健康情報が、「通常他人に知られたくない」情報といえるかどうかについて検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、本件健康情報は、特定の個人がインフルエンザ予防接種によって健康被害を受けたとして予防接種禍の認定申請をしたことに対して、厚生大臣が予防接種禍に該当するか否かの結果を市町村に通知した文書に記載されたものであって、特定個人が申告した具体的な健康状態すなわち具体的な障害の内容に関するものが記載されていることが認められる。

(二)  また、〈証拠〉によれば、インフルエンザ予防接種による健康被害としては、脳症、抹梢神経麻痺、ショック症状等があることが認められる。

(三)  〈証拠〉によれば、総理府の実施した世論調査では、他人に知られたくない情報として挙げられた各種の情報のうち、病歴・身体の障害などの記録を挙げた人が一四・六パーセントの割合でおり、上位から四番目に位置していることが認められる。

(四)  そうすると、前記のような健康状態は、個人の精神過程・身体状況等に関する高度に内面的、身体的な性質の情報であるから、右(三)の事情も合わせ考えると、「通常他人に知られたくない」情報に該当すると認めるのが相当である。

3  次に、本件健康情報が「個人に関する」ものといえるかどうかについて検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、昭和五〇年から本件非公開決定処分のなされた同六二年までの埼玉県下におけるインフルエンザ予防接種に係る健康被害の認定申請者は、過去一三年間にわずかに四名であり、またそのうちインフルエンザ予防接種による被害として認定された者はわずか三名であることが認められ、〈証拠〉によれば、新聞によって右四名のうち既に二名が実名でインフルエンザ予防接種に係る被害を受けたとしてその認定申請をしたこと及び具体的健康被害等が報道されていることが認められる。

右の事実によれば、本件健康情報を公開した場合には、その情報が誰に関するものであるかは容易に特定識別することができるものと認められる。

(二)  もっとも、〈証拠〉によれば、本件公開請求の対象となった文書中、被接種者個人の氏名、生年月日、性別は非公開としていることが認められるので、右文書中の本件健康情報を公開しても、特定個人と結びつくことはないのではないかとの疑問があり得る。

しかし、前記のとおり埼玉県下の前記認定申請者がわずか四名にすぎず、認定された者がそのうちの三名とその数が極めて少数であること、及び右認定申請者のうち二名が実名で報道されていたことを考えると、本件健康情報を公開した場合、その情報が誰のものであるかは容易に特定識別することができるものと考えられるので、本件公開請求の対象となった文書中、被接種者個人の氏名、生年月日、性別が非公開とされていることは、前記(一)認定の妨げとなるものではなく、他に(一)の認定を覆すに足りる証拠はない。

したがって、本件健康情報は、特定個人に関するものと識別ができ、「個人に関する」情報に当たるといわなければならない。

4  この点に関連して、原告は、本件健康情報が極めて強い社会的・公共的性格を有し、条例は憲法の知る権利を具体化したものであるから、これが条例六条一項一号に定める「通常他人に知られたくない個人に関する情報」に該当すると解すべきものではない旨主張する。

元来、「通常他人に知られたくない個人に関する情報」と「社会的・公共的性格を有する情報」とは別個の概念であって、互いに矛盾するものではないから、問題となる情報がたとえ「社会性・公共性」を有するとしても、そうであるからといって当然にそれが「通常他人に知られたくない個人に関する」情報であることを否定することができるものでないことは、論理上当然であるといわなければならない。そこで原告主張の趣旨を考えてみると、元来は「通常他人に知られたくない個人に関する情報」であっても、それが「社会性・公共性」を有すると認められる場合には、憲法上保障されている「知る権利」の具体化を目的としている条例の解釈上、その六条一項一号に定める「通常他人に知られたくない個人に関する情報」に該当するとは解すべきではなく、同号を適用して、当該情報につき非公開決定処分をすることは許されないとする趣旨であると解される。

しかし、〈証拠〉の埼玉県情報公開推進基本計画によれば、本件条例は、日本国憲法上の抽象的な権利としての「知る権利」を具体的な権利として、実定法上保障するため制定されたものであることが認められるのであって、本件条例の解釈、適用に当たっても、右の理念を十分に配慮すべきは当然であるが、同時に、条例は、プライバシーの権利も日本国憲法の保障する「個人の尊厳」にかかわる基本的人権の一つであるとして、この権利と右の「知る権利」との調和を図るべきことを極めて重要な課題として位置付けており、これに基づいて個人のプライバシーの権利を保護するために条例六条一項一号を設けていることが認められる。

右のような本件条例制定の趣旨及び経緯に鑑みれば、本件条例が六条一項一号において「通常他人に知られたくない個人に関する情報」を非公開とすることができるものとしたのは、当該情報が「通常他人に知られたくない個人に関する情報」であると認められるかぎり、それがたとえ高度の社会的・公共的性格を有する情報であっても、個人のプライバシーの保護を優先して、当該情報を非公開とすることができるものとした趣旨であると解するのが相当である。そして、本件健康情報がこれを公開すれば、特定個人のプライバシーを侵害するおそれがあることは前示のとおりである。

そうすると、本件健康情報にたとえ社会的・公共的性格があるからといって、同情報が条例六条一項一号に該当すると解すべきではないとして、本件健康情報につき非公開決定処分をすることは許されないとすべき理由はないといわなければならない。原告の右主張は採用することができない。

5  また、原告は、本件健康情報は、これと同種のものが既に他で公開されているから、「通常他人に知られたくない個人に関する情報」には該当しない旨主張する。

しかし、原告主張のとおり他の自治体や研究機関等からインフルエンザの予防接種禍による健康被害についての病状等本件健康情報と同種のものが公表されているからといって、本件健康情報が「通常他人に知られたくない個人に関する情報」に該当しないと解すべき理由とすることはできない。

原告の右主張も採用することはできない。

三  以上のとおりであるから、本件健康情報を条例六条一項一号に該当するとして被告がなした本件非公開決定処分はいずれも適法であって、これを違法としてその取消を求める原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 熱田康明 裁判官 西郷雅彦)

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